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水俣病は子どもからはじまった
1956年4月21日、熊本県水俣市内の漁村に住む5歳の女の子が、新日本窒素(現チッソ)水俣工場付属病院の小児科を受診しました。3月の下旬からお箸を使ったり靴をはくことがうまくできなくなり、4月半ばから歩き方がおかしくなり、言葉がもつれ、食べ物がのどにつかえ、不機嫌で意志の疎通もできなくなっていました。

この女の子は2日後の4月23日に入院となりますが、同じ日に2歳の妹がお姉ちゃんと同じように歩けなくなり、手がうまく使えなくなり、29日に同じ小児科を受診して入院しました。

入院した姉妹のお母さんから、隣にも同じような症状の5歳の女の子がいることを聞いた医師たちは驚き、その集落を調査して多数の患者を発見、8人が入院となり、5月1日、細川一院長は、「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と、水俣保健所に報告します。
これが、「水俣病の公式確認」とされている日付です。

その後、おとなの患者も次々に見つかり、またこの年より前に発病した人もいることがわかり、被害の大きさが次第に明らかになっていきます。
一方、被害の大きい地域でこのころに生まれた赤ちゃんたちには、生まれつき脳に障害がある子が多くいました。当初はひとくくりに「脳性まひ」とされていましたが、1961年、62年と亡くなる子が出て、解剖の結果、水俣病であることが確認されます。いわゆる胎児性水俣病です。

さまざまな年齢の人たちに、ひろく大きな被害を与えた水俣病。その初期に、まず幼い子どもたちが大きな被害を受けていた、ということは、忘れてはならないことでしょう。
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