2017/09
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ネット時代のメディアリテラシー
な?んて書くと、それだけで何やらモットモラシク聞こえますが・・・
こんな本を読みました。
「ウェブ炎上・ネット群集の暴走と可能性」荻上チキ著・ちくま新書

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なかなか、わかりやすい解説本。
以下は感想です。

ブログのコメント欄が「炎上」して収拾がつかなくなる、という光景は時々目にするものであるし、それでうんざりして立寄らなくなることもある。また「炎上」の結果閉鎖されたブログ、なんていう話も聞く。

ブログのコメント欄も、またネット掲示板なども、時間をかけて書き込むという性質のものでない以上、議論を深めていくよりも、枝葉末節の揚げ足取りになりがちであるのは、しかたのないことかもしれないが、もったいないことでもある。

・・・などと思っていたのだが、そこで、この本である。
実際に起きた「炎上」や、ネット上での「伝説」「デマ」の流通、あるテーマに関する論調が一斉に一方向に雪崩をうって流れていったケースなどを例示しながら、なぜそのようなことが起こるのか、また容易に拡大するのか、を分析したこの本は、いわば「ウエブ時代のメディアリテラシー」を提示したものと言える。

というか、ウエブもまたメディアであるのだから、それが必要なのはあたりまえなのだ。ここでは、インターネットにおける情報の流通のしかた、コミュニケーションのあり方の特徴のから、ネット空間で「炎上」などの問題がなぜ起こりやすいのか、が解説される。さらに、そうした問題は実はリアルな社会でも起きてきたことであり、つまりは「今まで起きてきたことが、ネットではかたちを変えて起きる」「今まで起きてきたことが、ネットでもかたちを変えて起きる」というのにすぎないということが、語られる。これは重要な指摘であると思う。

インターネットは奇跡の空間ではないし、悪の巣窟でもない、私たちの社会の延長上にあるリアルな空間なのだ、そのようなものにすぎないのだ、ということ。そういうあたりまえのことが、「ネット社会」を論じる時、ともすれば忘れ去られて、いたずらに危機感を煽るような議論がまかりとおっていることが、少なくないからだ。

その上で、筆者は、ネット空間を(少なくともその一部を)意味のある議論が成り立つ空間としていくための方法論と具体的な試み(いくつかの「まとめサイト」など)を提示している。これもたいへん意義のあるものだとは思うが、いかんせん、私のように、社会科学の研究者でなく、他の仕事と生活に忙殺されていて、ネットへのアクセス時間も限られている者にとって、どうもそれらは、利用しやすいものではない。

なるほど自分の仕事の領域に関して、こういう「まとめサイト」「ハブサイト」があれば、このうえなく便利だろうなとは思うし、かなり分かりにくくても読み込むと思う。そういう意味では理系業界は遅れているのではないかとも思う。

しかし、例えば個人として関心(というより当事者意識)の尽きないジェンダー・フェミニズム論に関してでさえ、社会科学系研究者が中心となった「まとめ」自体が、文脈を理解しつつ読むことを放棄したくなるような難解さというか、整理されなさなのだ(と、私は感じてしまうのだ)。
そうであれば、結局は自分にとって親近性のあるサイトやその周辺の情報を拾い読みしているほうがラクだし、情報としてもマシ、ということになってしまう。

そのあたりの困難をどう突破するのか?

しかし気づいてみればこの問いは、インターネット以前に様々なメディアに問われ続けてきた問い、そのものなのだった。
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The "Second Wave" and Beyond
社会科学系研究者が中心となった「まとめ」なのかもしれませんが(ちがうようにも思う^^;)、ずっと「現場」(アクティビズムの現場、社会科学の現場、ドキュメンタリーの現場など、各人が複数の現場)にいつづけている人たちのサイトです。核心に迫る力のようなものを感じます。
http://scholar.alexanderstreet.com/display/WASM/Home+Page#
ここで扱われているもののうち、The Personal is Politicalについてのレビュー記事を『生物学史研究』に書いたので、そのうち、お送りします。