2017/04
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「水俣」と「六ヶ所」
9月に、船堀のタワーホールを会場に、「えどがわ・水俣まつり」というイベントをやりました。その中で、「六ケ所村ラプソディー」というドキュメンタリー映画を観る機会がありました。

いわゆる「告発調」のものではなく、核燃料再処理工場がやってきた村とその周辺で暮らす人びとを中心に、淡々とインタビューを重ねた作品です。再処理工場を誘致した立場の人、そこで働いている人、工場に関連する業務の発注を受けて仕事にしている人、農業や漁業を営む人、再処理工場に賛成の人も反対の人も出てきます。
この映画を観ながら思ったのまず感じたのは、「水俣」と似通った構造、ということでした。

水俣では、明治の始め、日本窒素(後に新日本窒素→チッソと社名変更)の工場が誘致され、この工場と関連産業が町の経済の中心となります。直接会社との取引がある人だけでなく、たとえば地元の商店なども、この会社なくしては成り立ち難い、というふうになっていったのです。
同様に、というかそれ以上に、六ケ所村という地域の経済の中で、再処理工場を運営する日本原燃という会社の占める位置は大きいのだなあ、ということが、映画を見ているとよくわかります。

当時のチッソも今の原燃も、その時代の国の政策にうらづけられた、言わば「国策企業」であることも、共通しています。

ただ、ちがいもあります。水俣では、工場が誘致された当時は、まさかそれが空気や水を汚し、地場産業である漁業を脅かし、さらに住民の健康被害までひきおこすとは、予想されていなかったでしょう。しかし再処理工場に関しては、映画に登場する人びとのほとんどが(賛成の立場にある人も含めて)、はじめから「不安」を抱いています。

それでも、「必要だから」という理由で、走り出したものは止まることがない。何かが起きるかもしれないと思っても言われていても、実際に起きるまで、その指摘は顧みられない。
それどころか、水俣病という被害が発生し、工場廃液が原因として強く疑われるにいたった時、当時の池田通産大臣(後の首相)は「軽々に水俣病の原因を論じるべきではない」として、企業責任の究明をせず、排水は止められませんでした。それは、水俣の工場が、戦後の経済復興を支えるために欠かせなかったためだと言われています。

そして、被害は、いつも少数の人たちから現れはじめます。それゆえに、最初は被害そのものが軽く見られたり、特殊な例だとされたり、被害を強調するのは地域全体にとって不利なことだと思われたりします。

映画の中では、イギリスで再処理工場が稼働していたセラフィールドとその周辺地域の人たちの話が、ちょうどそういう話でした。工場で働いていた人が健康を害する、周辺の子どもたちが白血病を発症する。けれども再処理工場との因果関係はなかなか認められることがない・・・

いろいろな意味で、水俣と二重写しになる映画でした。

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