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遺作
学生時代の友人、ドキュメンタリー映画作家の佐藤真の急逝から2ヶ月あまりが経ちました。
遺作となった「エドワード・サイード OUT OF PLACE」が小岩で上映されたので、観にいってきました。昨年から一般公開されていたものですが、観る機会を逸していたのです。

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エドワード・サイードは、イギリスの委任統治下にあったエルサレムに生まれ、エジプト?アメリカと移り住んだ、パレスチナ系アメリカ人の高名な学者であり批評家です。2003年に白血病で亡くなりました。映画は、彼の自伝を軸にしながら、家族をはじめ生前の彼を知る人びとへのインタビューと、彼が育った地の映像、そして現在のイスラエル国内とパレスチナ難民キャンプでの取材によって構成されています。

少年時代に毎年避暑に行っていたというレバノンの別荘、その町の人びとが語るサイード一家の印象。父親がカイロで営んでいた文具店のもと同僚や近隣の人の思い出話。レバノン南部にある難民キャンプで暮らす一家の老人たちは奪われたパレスチナの地に思いをはせ、青年は家族を支える仕事について淡々と話す。イスラエル建国初期に移住、一からキブツを拓いた東欧系ユダヤ人の老人は、ホロコーストの犠牲となった家族親族を語る。パレスチナ人の町を呑み込むようにしてできた新興住宅地の町の片隅で、今も暮らすキリスト教徒のパレスチナ人たちの静かな憤り。同じ町の反対側に移住してきたユダヤ人の様々な世代の、微妙にニュアンスの違う町への思い。ユダヤ教徒もイスラム教徒もキリスト教徒も混じりあい行き来していた暮しを懐かしむ、シリア系ユダヤ人女性。

サイードの同僚や交流のあった学者たちへのインタビューの合間に挟み込まれる、こうした人びとの表情やことばが、とても印象的です。

そして最後に、サイードを追悼する講演会で、妻のマリアム・サイードが引用する、サイードの文章。正確な文言を覚えてはいないのですが、人を民族や国籍や宗教で分けること、追い出すことでは何も解決しない、協働co-operationと共生co-existenceが必要だ、という言葉、時代は絶望的に見えるが自分はなお楽観的である、という言葉。

それは佐藤真監督自身の祈りでもあり、今となっては遺言でもあるように感じました。

まことに彼らしい映像であり、パレスチナ問題という、今という時代の中の、とりわけ困難な主題を、よくもまあこのように取材し、まとめたものだ、と思います。彼でなければできない仕事であったでしょう。

映画作家としての佐藤真は、作品の中にずっと生き続ける。
けれどそうであるだけに、友人としての佐藤真が今はもう居ないということが、いっそうの痛みとして感じられもします。
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(非公開コメント受付中)

リンクさせていただきました。
11日の追悼映画会でお会いできて良かった。
監督は、いろいろなかたちで人々の中に活きていかれるのですね。
昨日、訪ねた『イラク・アートの先駆者たち~Selections of the Iraqi Art~』展でも
「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の話しが出ました。
語り継ぐこと、書き続けることを大切にしていきましょう。
フォーラム(ひろば)の監督のことを書いたページにリンクさせていただきました。
ありがとうございます
リンクありがとうございます。
17日には新潟での追悼の会にも行ってきました。「阿賀に生きる」もまた機会があれば上映したいなあと思います。
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