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水俣病について伝えること(1)
前のエントリーのつづき。
もともと私の「水俣」へのかかわりはまだ学生の頃、約25年ちょっと前に遡ります。そのころ、「不知火海総合学術調査団」というのがあって、いろいろな学問分野の人たちが、水俣病と不知火海沿岸の生活や歴史についての調査を展開していました。「師匠」すじ、と書いた最首さんもそこに加わっておられ、その手伝いやら何やらで集まった学生グループがあったわけです。
そのころは大学の中での活動でしたから、4月になると「オリエンテーション企画」として映画や講演会などを行い、文集を作ったりチラシを作ったりしていたものです。
その頃と比べて、今、あらためて「水俣病とは何か、水俣病問題とは何か」を語ろうとすると、はるかに多く「説明」が必要であるのを感じます。

25年前という時点では、学生はまだ、水俣病の公害認定、その後の裁判や患者さんの座り込みなどを、こどものころのこととはいえ、報道などでリアルタイムで見聞きしていた世代でした。
しかし、今、「水俣病」は教科書に記載され学校で学ぶものではあっても、その「キモ」というべきものは、たいていの場合、伝わっていないような気がします。

水俣病の歴史、というところで言えば、そのキモというか、象徴的な事態は、1956(昭和31)年の「公式確認」から1959(昭和34)年の「見舞金契約」とその後の「沈黙の10年」にある、といえます。(つづく)
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