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「手間をかける」ということ
 前に「紙オムツと布オムツ」のことを書いた時から、何となくひっかかっていることなんですが。

 子育てに「手間をかける」ことが「愛情」なのか?、ということ。おむつの洗濯とか、手作りの食事とか。「手間をかける」のが「愛情」なら、朝早く出勤して夜遅く帰ってくるお父さんなんかは、「愛情がない」ってことになっちゃいますね。それはやっぱりおかしい。

 などと、いろいろ考えていて、子どものために「手間をかける」のは、愛情の表現のしかたのひとつ、にすぎないと言うべきなのだろうな、という結論に達しました。
 で、ここで重要なことは、子どもは、小さければ小さいほど、手間が「かかる」ということ。

 手間を「かける」と、手間が「かかる」とは、ちょっと意味がちがいます。幼い子どもに手間がかかるのは、子どもが自分でできることが少なくて、世話してあげなくては、毎日暮らしていくことが、いや生きていくことさえ、できないからです。赤ちゃんに母乳やミルクをあげること、おむつを替えること。幼児に必要な食事を与えること、事故のないように気を配ること。お風呂に入れること、気候にあわせた衣服を着せること、病気の時に適切な医療を受けさせること。

 これらは、子どもをとりまくおとなが、必ず気を配ってあげなくてはならないこと、言わば親としておとなとしての「義務」にあたります。その「義務」の遂行は、時として重荷であることもありますが、その重荷を担うことを可能にしているのが、「愛情」というものでしょう。

 しかし、手間を「かける」というのは、そういう基本的な生活(生きること)の支え、ではない、プラスアルファを指しているように思われます。とすればそれは、ゆとりの部分でおこなわれるもの、「愛情そのもの」ではなくてその表現方法のひとつ、なのだと思うのです。

 愛情の表現のしかたはいろいろで、「こうでなければならない」というものはありません。ただ、相手の立場や気持ちを考える、おしつけにならない、ということは重要です。おしつけの「愛情」がたやすく暴力に変わる例は、新聞やニュースに掃いて捨てるほど転がっています。

 そういう意味では、「手間をかける」というのも、「私がこんなに手間をかけてあげているのに・・・・(この子はいうことをきかない、喜ばない、等々)」というところに陥ってしまったら、かえって危険でありうると思います。

 なにごとも、ほどほどに・・・ということでしょうね。
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