2017/09
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AD/HDなわたし
私はADHD(注意欠如多動症候群)らしい。

いや、自分でそう思い込んでいるという話ではなくて、自閉症・ADHD・LDなどのこどもたちを専門に診ている先輩にそう言われたのだ。
それは必ずしも「冗談」ではない。
「らしい」というのは、診断基準が往々にして変るので・・・という意味での留保である。
考えてみれば、幼い頃の記憶&親から聞かされたエピソードは、そういう特徴に満ちている。「お転婆」と称されるほど動きが多く、そのくせ決められた動きを求められる「体操」は不得意だった。タイミングをわきまえず、興味のあることについては突然のようにしゃべりまくった。

学校に入ると、いささか居心地が悪い感じはあった。しかし、当時の小学校はのんびりしたもので、1年生の1学期など皆で学校内探検とか近所の公園に見学とかが多く、第一私以上に動き回る子もいたし、大きく「問題」扱いされることはなかった。ただ、科目や項目で得意不得意(というか好き嫌いというか)が大きく差があったのは事実で、高学年になるとそれが「問題」にされてきた。
授業中によそ見をしているといって怒られることは、とくに小学校高学年で多かった。確かにあちこち見ていたのだが、話は聞いていたし、理解しているのだからいいじゃないか、と思っていた。それが反抗的に見えたのか、当時の担任からは半ば敵視されていたと思う。
不器用で体育とか図工とか家庭科とかは軒並み苦手だった。いわゆる「主要4科目」ができがよかっただけに、このことも教師からみると不満だったようだ。

そういう意味ではかなり適応しにくい生徒だったし、実際今から考えれば心身症だよなあという症状は次々起していた。
それでも、破局に至らなかったのは、なんだかんだ言ってもこどもに対しては世の中が鷹揚で、追いつめない部分があったし、それ以外に問題にされている大事なことがたくさんあったからではないかなあと思う。

今では「多動」な面は薄れているが、例えば会議とか講義などではよほど興味がない限りじっとしていられなくなる。「片付けられない」というのはこどものころから一貫していて、今もそうだ。「何かしながら」というのがラクでもあり効率も良く、静かなところで仕事をするというのは苦痛だ。
でも、社会生活で大きな問題はないし、かえって有利なのではないかと思う場面さえある。

もちろんこれは個人的な経験だし、たまたま私の得意な分野が今の社会で評価される分野と重なっていたということかもしれない。
でも、少なくとも私は、小学校の一時期を除いて、自分のこういう性向を強く非難されたり、抑えこまれたり、否定されたりという目にあわなかった。そのことは大きいと思う。
当時「ADHD」なんて概念はなかった(「MBD」もなかったんじゃないかと思う)し、もちろん親も教師もそんな「専門知識」なんてなかったのだけれど、むしろそれがよかったのではないかとすら思う。

今だって、こどものささいな「問題行動」より先に問わなければいけないことは山ほどあるように思うのだけれど、どういうわけか、こども自身の資質に対して、すぐに目が向けられる。
それって、こどもを守っているようで、実は追いつめていないか?

とても、気になっている。
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(非公開コメント受付中)

ボクもADHD的な面と地理的なLDの面があります。面がありますというのは仰るとおりに診断基準が曖昧だからです。
学校では問題だったけど家庭では問題なかったですから。(笑)