2017/04
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ニュー・シネマ・パラダイス
 昨夜BSで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』をやっていて、ついつい最後まで見てしまいました。劇場公開版は120分強だったのですが、昨夜放映されたのは「完全版」というやつで、30分くらい長いこともあって、終わったのが11時40分くらい。今日はちょっと眠いです・・・

 有名な映画ですが、ゆっくり観たのは初めてでした。150分あまりという長い作品であるにもかかわらず、途中で飽きるということがなかったのは、どうしてなのかなあ、と思います。

 ストーリーは主人公の回想が主で、波乱万丈、というほどのものではありません。しかし、小さなエピソードのひとつひとつが生きている、それがこの映画の魅力なのかもしれません。
 物語は大きく分けて3つの部分で成っています。まず、主人公のトトの子ども時代。第二次大戦直後、ロシア戦線に送られた父親は未だ帰還せず生死不明のまま。神父さんの手伝いをして(おそらくいくばくかのお金をもらっているのでしょう)いるトトは、映画に夢中。いささかこまっしゃくれて弁のたつトトを、持て余しつつも受け容れる中年の映写技師・アルフレードとの間柄は、友情というより、もう少しひねくれた関係です。

 映画は村の住人達の唯一の娯楽ともいうべきもので、映画館は常に満員。いつもいびきをかいて寝ているおじさん、あんぐり口をあけて見入る子どもたち。ヴィスコンティの映画の長々とした字幕の前で「俺は字が読めないから何だかわからない」「俺もだ」といった会話が交わされたり、小学校(だと思う)の卒業認定試験を受けに来るおとなが何人もいたり、というところにも、村の貧しさが現れています。

 中で異彩をはなっているのが、「俺の広場だ、俺の広場だ」という言葉だけくり返しながら広場をうろついている男。実際「広場のヌシ」的に、いつでも登場するんですよね。

 火事で失明し足も不自由になったアルフレードに替わって映写技師役を務めることになり、幼くして稼ぎ手となるトト。しかし、「仕事があるから学校には行けない」というトトに対して、アルフレードは「それではいけない。お前はここを出て行くべきだ」と言い聞かせます。「ここに居てはいけない」「ここを出ていけ、戻るな」というセリフは、この後もくり返しアルフレードによって語られるものであり、この映画のテーマのひとつと言っていいものだと思います。何故アルフレードはそう言い続けるのか、それまでの人生に何があったのだろうか・・・と思わせられもします。

 第二の部分は、高校生になったトトと、転校生エレナとの恋物語。金髪碧眼の美少女・エレナは、裕福な銀行員の娘であり、トトとの境遇の違いは、豊かな北イタリアと貧しい南イタリアの対比でもあります。このときアルフレードが語る「王女と兵士」の寓話は、そのままエレナとトトに重なり、身分違いゆえに実らぬ恋の、実らないがゆえに悲しくも美しいという逆説の象徴のようでもあります。

 第三の部分では、ローマで成功した映画監督となったトトが、アルフレードの葬儀に参列するために30年ぶりに帰郷します。懐かしい人々(俳優さんがメイクで老け顔になっているのが面白い)、変化しながらもかつての面影を残す町並み。すっかり自動車で埋まった広場には、その車たちの間をぬって、相変わらず「俺の広場だ」をくり返して歩く男。廃館した映画館の取り壊しは、またひとつ失われていく過去。さらに初恋の人エレナとの再会(このエピソードは劇場公開版にはなかったもの)は、失ったものを取り戻そうとするかのような中年トトの足掻きを現しているように思えます。

 アルフレードがトトに遺した形見は、1本のフィルム。ローマに戻った彼が映写機にかけてみると、それは様々な映画のキスシーンの連続。これを観るトトの表情には「やってくれるじゃないか」というような気分が見てとれる。失われたものは戻らないーー映写室を愛した子ども時代も、失われた恋も、アルフレードもーーそのことを、ここでトトは受け容れたのだろう、と思いました。
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