2017/09
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科学と司法
http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200906040199.htmlより
 

90年に栃木県足利市で女児が殺害された事件で00年に無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役していた菅家利和(すがや・としかず)さん(62)が4日午後、釈放された。菅家さんが「犯人」とされた最大の根拠はDNA型鑑定だったが、菅家さんの再審請求に基づく再鑑定で、女児の肌着に残った体液の型と菅家さんの型が「一致しない」とする結果が出たことを受け、検察側が刑の執行を停止した。

 再審請求中の受刑者の刑の執行が停止されるのは初めて、なのだそうです。DNAの不一致が、それも弁護側検察側双方の鑑定人によって確認されてしまった以上、この人が「真犯人」であるとする根拠はどう見てもないですから、異例の判断となったのでしょう。

 多くのえん罪事件がそうであるように、この事件も、警察の乱暴な取り調べの中で、やってもいないことを「やった」と言ってしまう、嘘の「自白」が問題になっています。そのような、えん罪を生む構造の問題もさることながら、DNA鑑定を巡る争いの長さにも、理不尽を感じます。

 弁護団が最初に独自のDNA鑑定の結果(一致せず)をもって再鑑定を請求したのが1997年、上告審においてだということ。この時点で、最高裁が1991年の鑑定結果を信用できると決めつけた根拠はどこにあったのでしょうか。さらに再審請求の裁判でも、地裁では再鑑定を行わない決定が出され、即時抗告審の東京高裁がようやく再鑑定を決定したのが昨年12月。この間だけでも10年以上の月日がたっています。

 遺伝子診断の技術はまさに日進月歩です。DNA鑑定導入当時の技術、その結果と、数年後の技術とでは天と地ほどの差がある、と考えるのは常識的判断だと思うのですが、なぜかくもかたくなに、司法は最初のDNA鑑定の信用性に固執したのでしょうか?その論理がまるでわかりません。

 「科学」と「司法」との間には、案外大きな溝があるのでしょうか。
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