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まるごとの生、まるごとの死
 kom's logより
 

脳死という彼女であっても彼女は生きている。そして彼女は不思議なことに脳幹を復活させて生きていたのだけれど、だから彼女は生きていた、のではない。脳が死んでも彼女はまるごと生きていた。そしてまるごと死んだ。だから私は納得した。


 以前にちょっと書いた、臓器移植法改正案。現在、参議院で審議されています。
 上に引用したkimuraさんのブログでもひかれている、参議院厚生労働委員会での森岡正博さんの参考人発言のまとめを、以下で読むことができます。
 http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090708/1247014793

 kimuraさんのブログ、さらに森岡さんの発言要旨を読んで、あらためていろいろ考えさせられました。森岡さんの発言で、私が重要だなと思うのは、例えば以下のような部分です。

 まず、以前にも触れた、子どもの長期脳死の事実。
 

心臓が100日以上動き続け、成長し、身長も伸びる脳死のこどもが、死体である、とする、国民のコンセンサスはありません。また、長期脳死になるかならないかを見分ける、医学的な基準も発見されていません。たとえ、親の同意があったとしても、長期脳死の可能性のある脳死のこどもを死体と断じ、その身体から心臓や臓器を取り出すことは、危険すぎます。


 そして、「人の自由」についての考え。「生命身体の自由」というのは、基本的人権に謳われているものですが、ではその「自由」とはいかなるものなのか、ということについての思索です。
 

我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて、迷う自由があります。この迷う自由を人々から奪ってはなりません。迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。すなわち、迷っている間はいつまでも待っていてあげる。もし決心がついたら申し出てください。これが、本人の意思表示の原則なのです。


 最後に、上記のkimuraさんも引用しておられる部分。「生」の全体性、それゆえの「死」の全体性、ということだと思います。
 

ここから、私の個人的な見解、といいましょうか、思想、哲学になるのですが、こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、自然の権利というものがあるのではないでしょうか。そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、本人がその権利を放棄する事を意思表示したときだけではないでしょうか。


 このような「全体性」へのまなざしを、私たちは忘れがちです。そして、脳死・臓器移植問題を離れても、子どもたちが「まるごと生きていく」ということが、現在の日本の社会で、どれくらい大切にされているだろうか・・・と思うと、心もとない限りです。
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