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江津野杢太郎少年
以前にも書いたけれど、『天の魚(いを)』という一人芝居の復活プロジェクトにかかわっている。石牟礼道子『苦海浄土』の中の一章を演劇化したもので、年老いた漁師の語りで構成されている。

「杢太郎少年」は、主人公の孫で、胎児性水俣病患者だ。ある日のけいれんを境に、症状が表に出た。

「杢のひきつけたときどま、ぴーんとのびらしたまんまじゃった。そげんときゃもうつまらんと。どしこ拝んだでちゃもうつまらん。案のじょう熱ものうしとって明けの日から、手も足も曲がったまんまモノも言い切らん人間になってしもうた。杢ばっかりにゃ、こん神さんも首振らした。」
老人の、孫への思いは深い。

「おるげにゃよその家よりゃうんと神さまも仏さまもおらすばって、杢よい、お前こそがいちばんの仏さまじゃわい。じいやんな、お前ば拝もうごたる。お前にゃ煩悩の深うしてならん。

あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい、木で造った仏さんのごたるばい。よだれ垂れ流した仏さまじゃばって。あっはっは、おかしかか杢よい。」


彼は杢太郎少年の「能力」を測らない。何ができるかできないか、を数えない。できることもできないことも、そして彼にとってわかることもわからないことも、まるごとひきうけて、少年を慈しんでいる。ことばをもたない少年の内心に思いをはせ、その「魂の深さ」を思い、ただただせつながっている。

「ともに生きる」とは、そういうことだったのではないか。

いま、わたしたちは、これといった障害をもたないこどもたちのことですら、いちいち測り、評価し、点数化している。まして何かの「障害」が疑われれば、すぐさま様々な測りが作用し、分析し、評価する。「どこが、どのような能力が、欠けているか」を。あるいはそれがすぐさま反転して、「こんな力があるんですよ」と見せつける。

それはこどもたちにとって生きやすい、育ちやすい環境だろうか。
まして何か「障害」と呼ばれる特性をもったこどもにとって、生きやすい社会だろうか。ほんとうに「自分らしく」いられる世界だろうか。

測って評価して点数化すれば「何か手助けしてやれる」ように言われるのは、ただおとなの社会が安心するだけの意味しかないのではないか。
「わからない」「測れない」ことを、もっと大切にするべきではないのだろうか。
わからないまま、測れないままこどもとつきあうことができないのは、ただ今の社会の本質的な貧困を示しているだけではないのか。

・・・そんなことを、老人の語りはあらためて考えさせる。
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行けなくて残念
『天の魚(いを)』という一人芝居、
行けなくて残念でした。これを読んで、無理してでも行けばよかったと、少し後悔。「軍縮地球市民」という雑誌に短い文章を書かせてもらいました。

【宣伝】「生きていることの肯定」
http://tu-ta.at.webry.info/200610/article_8.html

もし、機会があったら読んでみてください。
どうも。
来年9月に江戸川で上演する予定ですので、機会があればどうぞ。
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