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「放っといてくれ」
前のエントリーの続編と言えなくもないのですが。

まず補足的に書いておくと、おむつを使わない文化というのは確かにあるらしい。JICAか何かで中国に行っていた医者から、中国のどこかの地方ではおむつは使わない、その年齢のこどもの衣服は股のところがすぐ開けるようになっていて、オシッコやウンチの気配を感じたらそのへんでさせるのだ、という話を聞いたこともある。
たまたま今読んでいる鷲田清一さんの本には、狩猟民族で、母親と幼いこどもが一体として毛皮にくるまって、つまり肌を触れあっていて、やはり気配を感じたらそのへんでさせるのだと書いている。
それは、つまり、そういうことが許容される、というか、当たり前であるような文化、社会があるということだ。家の中でも道端でも、子どものオシッコやウンチには目くじらたてない。たとえ母親の皮膚にくっついたとしても、臭いとかキタナイとか考えない。そういう文化。

それはいいとか悪いとか、進んでいるとか遅れているとかいうことではなくて、「違う文化」なのだ。

そこから「おむつを使わない」という現象だけ切り取ってきて今の日本にあてはめたって、何の意味もない、というか、母子ともに追いつめられるだけじゃないですか、ということです。

で、ようやく本題なのだけれど、

このことを書いていて、少し前にある大学の先生が言っていたことを思い出したのですね。
「今、学生達が声にならない声で言っていること、それは『放っといてくれ』ということだ」と。

まあ、それは無理もない。もう、ここ20年ほど、日本の社会は、子どもを放っておかない社会、「転ばぬ先の杖」があふれている社会になっているのだから。

最近話題の、必修科目未履修問題だってそうだ、と思う。
必修科目を削ってまで受験勉強しないと合格しないような大学を志望する、志望させる構造って、何なんだろう??と思う。そこまで手取り足取りして合格させようというお節介さ、を感じてしまう。

受験は「無理・無駄・ムラ」をなくす、というのは昔の受験産業の覇者・旺文社が掲げていたセリフだけれど、いざ大学に入ってみると、ほんとにアタマがイイと思えるのは、無駄なことをやってきた・やっている人達であり、生き方に無理やムラがありまくりの人達だった。
その後20年以上たって、「いい仕事」をしている、と思えるのは、やっぱりそういう人達だ。
「ムダ」や「ムリ」や「ムラ」に見えるもの、それはとりもなおさずある意味の余裕、受験勉強によってなお破壊しつくされない「自分自身」だからだ。

まわりがお節介をやいて、若干18歳までの間に本人の持っている力を効率良く絞り出させて、それが「子どものため」だと思いこんでいる錯誤。

ほんとに今の子どもたちはつらい。
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