2017/10
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子どものリアリティ 学校のバーチャリティ(2)
ちょっと間があいてしまいましたが、前のエントリーの続き。

ふりだしに戻りますが、この本のまえがきには、こう書かれています。

生きものとしての人間、あるいは生きものとしての子どもが変わるとすれば、それはおそらく千年、万年の単位の話。わすか数十年というスパンで変わるようなことはありえない。


まったくそのとおり。私自身、「子どもが変わった」と連呼されるたび、著者と同様、「少々意地悪な気持ちになって」、同じことを思います。
さらに、著者はこう述べます。

たしかに、いま子どもたちの生きる姿はかつてと大きく様変わりしている。それは否定できない。しかしそのことを「子どもが変わった」ことに帰すのは安易にすぎないか。子どもが変わったのではない。変わったとすれば、その変化の核は、子どもそのものにあるのではなく、子どもたちを囲む社会的、文化的、歴史的な状況の側にある。つまり子どもたちを囲むこの状況が大きく変わった事で、子どもたちの生きるかたちが変わった。


そして同時にもうひとつの視点を示します。

一方で、変わる事のない「子どもそのもの」というものがあるのでもない。(中略)私たちの目の前にいるのは、いつもこの時代、この社会を生きている具体的な子ども以外のものではない。とすれば、この「状況の中を生きる子ども」を描く事によってしか、子どもは語れない。ところが、これが簡単ではない。


では、子どもたちを囲む状況の「何が」「どう」変わったのか。子どもたちはいま、どういう状況を生きているのか。

著者はそれをまず、子どもの、そしておとなの生活のリアリティ、という視点から描き出します。

近代以前の社会では、基本的な衣食住と、しごと、遊び、といった要素が、小さな集団の中で、かっちりと分かれることなくあって、その中に、幼い子どもの世話も、子どもが育つ中でしごとを見習い覚えさせることも含まれていた。経済・社会の変化につれて、「しごと」の場は分化し、しごとのために習い覚えることがらも分かれていく。そして、工業を中心とする社会になると、しごとはお金を稼ぐものとしてくらしの場から分離し、将来稼ぎ口をみつけるための「教育」が子育てから分離してきた。情報社会となった現代、「しごと」はさらに「ものづくり」の具体性を離れ、「教育」もまた目に見える具体性から遊離していく。

このようにして<勉強-稼ぎ>というラインが「くらし」の他の領域から浮き上がってきた・・・という見かたは、必ずしも目新しいものではないのですが、その中で、それゆえに子どもの「発達」が強く意識されるようになってきた、という指摘は(この本の中では中心的な論点ではないのですが)重要だと思います。

もともと「子どもの発達」に注目があつまり、発達心理学などが登場したのも、近代の工業化社会になってからです。そして現代、ますます「子どもの発達」は注目され、それを測るツールは肥大し複雑化し、医療者や教育者のみならずひろく一般にも浸透している、そのことが、必ずしも「自然な」ことではない、ということを、この指摘は思い出させてくれるからです。

さて、このような状況は、子どもにとって、ひとつの大きな困難をもたらしています。それは、著者のことばで言えば、「能力の獲得・蓄積が直接的な生活世界の広がりとは別の意味合いを持つ」という「間接性」の問題です。
子どもたちは、「将来何かになれるための能力を身につけ、おとなになったとき、その能力でお金を稼ぐこと」を求められるし、学校はそのためにあると考えられている。しかし、その「何か」が何であるかは見えないわけです。

子どもたちは、自分が将来どのように生きていくのかが見えないまま、とにかくこの世の中で「何か」になれるための、とりわけ生きていくのに有利な「何か」になれるための能力を身につけることを、親から求められ、また自分から求めざるをえない。


しかも、その「能力」は、子どもが現に生きている「いま」に使われてそれを豊かにする能力ではない。乳幼児が歩きはじめ、言葉を得るときのような、直接に自分の世界を拡げていく、喜びとスリルに満ちたものではない。

こうして、どのような高邁な理念も、すぐれた知識や教養も、「テストで正解を出し、いい点をとる」ために記憶するものとなり、その内実を失った「バーチャルな」ものと化してしまう。そして、このバーチャリティが子どものリアルな人生を支配する。
それは、私が子どもだったころからすでにあったことですし、そのことにずいぶん反発も抵抗もした。けれど、そのころよりも今はずっと、それは広く深く子どもの生活を覆っているように見えます。

子どもたち自身はもちろん、親も、教師も、子どもや教育の現場にたずさわる人たちの誰も望んではいないのに、脱け出すことができずにいる罠。

(つづく)

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