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水俣病は子どもからはじまった
1956年4月21日、熊本県水俣市内の漁村に住む5歳の女の子が、新日本窒素(現チッソ)水俣工場付属病院の小児科を受診しました。3月の下旬からお箸を使ったり靴をはくことがうまくできなくなり、4月半ばから歩き方がおかしくなり、言葉がもつれ、食べ物がのどにつかえ、不機嫌で意志の疎通もできなくなっていました。

この女の子は2日後の4月23日に入院となりますが、同じ日に2歳の妹がお姉ちゃんと同じように歩けなくなり、手がうまく使えなくなり、29日に同じ小児科を受診して入院しました。

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子どもたちに「水俣」を伝える
私が言い出しっぺとなって、地域の友人知人たちと始めた企画、「えどがわ・水俣まつり」

そのプレイベントとして、8月に、「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク(略称「伝えるネット」の田嶋いづみさんをお招きすることになりました。
田嶋さんは相模原在住で、甘夏の購入から水俣に縁ができたということです。小中学校、高校などの社会科や総合学習の場で、「水俣」の出前授業を行ってもう8年めになります。

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えどがわ・水俣まつりのこと
築地市場移転問題について、昨日のエントリーで少し書きました。

この問題は、地域の友人知人たちと企画している「えどがわ・水俣まつり(仮称)」の準備会の席でも少し話題になったことがあって、それ以来気になっていたので、一度自分でも整理してみよう、という思いもあってのことです。

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江津野杢太郎少年
以前にも書いたけれど、『天の魚(いを)』という一人芝居の復活プロジェクトにかかわっている。石牟礼道子『苦海浄土』の中の一章を演劇化したもので、年老いた漁師の語りで構成されている。

「杢太郎少年」は、主人公の孫で、胎児性水俣病患者だ。ある日のけいれんを境に、症状が表に出た。

「杢のひきつけたときどま、ぴーんとのびらしたまんまじゃった。そげんときゃもうつまらんと。どしこ拝んだでちゃもうつまらん。案のじょう熱ものうしとって明けの日から、手も足も曲がったまんまモノも言い切らん人間になってしもうた。杢ばっかりにゃ、こん神さんも首振らした。」

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そう言えば
今さらこんなことを、という気もするけれど。
水俣に産廃の最終処分場をつくる、という計画がある。ご存知でしたか?

何だかとてもたちの悪いブラックジョークのようだ。「公害の原点」とまで言われた水俣に、あらたな公害の源ともいうべき産廃処分場とはね。
しかもその予定地は地元の水源に近い湯出川(ゆしずがわ)の上流。すぐそばには湯の鶴温泉がある。

もちろん地元では反対の声も高く、市長選挙でも産廃反対を掲げた候補が当選。
でも、市が反対しても、許認可は県が行うので、すぐにストップはできないらしい。

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水俣病についてどう語るか
ご縁があってときおりお邪魔するようになった今日、考えたことというブログで、18日に開かれた「水俣病は終わらない・東京集会」についてのエントリーがあった。

ここで言及されている原田正純さんは、水俣にちょっと縁を持った人なら誰でも知っている、もと熊本大学の医師で、初期からずっと患者さんとともに歩んでこられた方だ。お話を聞きに行ければよかったなと、ちょっと残念。

ところでこのエントリーで筆者のtu-taさんがとりあげておられる問題(以下は上記ブログからの引用)

今日も患者さんから「こんなカタワにされてしまった」という発言がありました。この問題をどう考えたらいいのでしょう。

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「天の魚」のこと
TBが来ている(今のところいちばん上)「天の魚」復活プロジェクト。実はこれ、私も一応仲間に加わっているのですが、

「天の魚(いを、と読みます)」は、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の一節を、砂田明さんという俳優さんが脚色し、ひとり芝居として全国を巡演したものです。胎児性水俣病の孫を持ち、息子は未認定患者、自らもまた水俣病の症状をかかえながら一家を支える年老いた漁師の語りで構成されています。

語りは、孫への愛情、天草での少年期の回想、不知火海の美しさ、漁師のしごとの醍醐味、「会社」(チッソ)への愛憎、等々が複雑に織りなされたもので、水俣病が(そしてそれを生み出したものが)傷つけ奪ったもの、今も踏みにじっているものは何か、をみごとに伝えていると思います。

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アスベスト、薬害エイズ、そして・・・
最初のエントリーで書いた、水俣・和光大学展の実行委員会立ち上げお披露目パーティー(しかしこれじゃ宴会ばっかり行ってるみたいだな)で、企画の一つとして、「水俣・薬害エイズ・アスベスト」でシンポジウムをやる、ということが発表されていた。

水俣病のことはここで2回ほど書いてきたけれど、確かに、薬害エイズ問題にしろ、アスベスト問題にしろ、水俣病の経過と重なる部分は多い。

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1959年/水俣病について伝えること(2)
1959(昭和34)年。日本は「岩戸景気」に沸き、皇太子(現天皇)ご成婚に沸いていました。国際オリンピック委員会が1964年のオリンピック開催地を東京に決定した年でもあります。

この年7月、水俣病研究を続けてきた熊本大学医学部は、水俣病の原因を「ある種の有機水銀」と結論づけます。原因がはっきりしたのだから解決策がとられた、と誰しも思うところでしょう。しかし、実際はそうではありませんでした。1956(昭和31)年の「公式確認」以来くすぶっていたいくつかの問題に「決着」がつけられたのは確かですが、それは解決と呼ぶにはほど遠いものだったのです。水俣病問題の「キモ」と昨日書きましたが、今につながり、今を問う問題群は、ほぼこの時にみることができます。

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水俣病について伝えること(1)
前のエントリーのつづき。
もともと私の「水俣」へのかかわりはまだ学生の頃、約25年ちょっと前に遡ります。そのころ、「不知火海総合学術調査団」というのがあって、いろいろな学問分野の人たちが、水俣病と不知火海沿岸の生活や歴史についての調査を展開していました。「師匠」すじ、と書いた最首さんもそこに加わっておられ、その手伝いやら何やらで集まった学生グループがあったわけです。

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